映画放送趣味の部屋 ~ ハリウッド・テン
赤狩りの 嵐が吹き荒れたアメリカで、1947年の10月にワシントンD.C.で行われたハリウッドの映画人に対する非米活動委員会の聴聞会に出頭して、言論の自 由、表現の自由を盾に、実質的な証言を拒否して委員会に協力する事を拒んだ10名の映画人(映画評論家で脚本家のアルヴァ・ベッシー、監督のハーバート・ ビーバマン、脚本家のレスター・コール、監督のエドワード・ドミトリク、脚本家のリング・ラードナー・ジュニア、脚本家協会の創設者ジョン・ハワード・ ローソン、脚本家のアルバート・モルツ、脚本家のサミュエル・オーニッツ、脚本家で製作者のエイドリアン・スコット、脚本家のダルトン・トランボ。実際は 作家のベルトルト・ブレヒトを含めた11名)たちをさす。召喚状を受け取ったのは彼らを含めた19名だったが、他の8名はこの時点で召喚は行われなかっ た。彼らは思想と政治的信条の自由を規定した憲法修正第一条を盾にとって一切の証言を拒否するが、必死の反抗もむなしくハリウッド・テンは非米活動委員会 を糾弾したために議会侮辱の罪で起訴される。49年には有罪の判決を受け、彼らは刑務所に6ヶ月から1年間服役した上に、ハリウッドからは完全に締め出さ れて、地位、名誉、仕事の全てを失う。服役後、エドワード・ドミトリクら数名のハリウッド・テンは転向して非米活動委員会に忠誠を誓ってハリウッドに復 帰、またはハリウッドを離れてヨーロッパに活動の場を移すが、ダルトン・トランボは『栄光への脱出』(60)で再び実名でクレジットされるまで、偽名や他 人の名前を使って脚本を書き続け、『ローマの休日』(53)と『黒い牡牛』(56)では、偽名でアカデミー脚本賞を受賞した。