映画放送趣味の部屋 ~ パラマウント
か つての専属スター俳優の数を表す22個の星がアメリか北部の最高峰マッキンレー山の頭上に輝くロゴマークを目印に、良質のエンターテイメント映画を提供し たハリウッド黄金期のメジャー・スタジオの一つ。配給業者のアドルフ・ズーカーは1912年に新興会社パラマウント・ピクチャーズを併合して「フェイマ ス・プレイヤーズ」を設立してスタジオの母体を確立。13年にはジェシー・L・ラスキー、サミュエル・ゴールドウィン、 監督のセシル・B・デミルらが製作会社「ジェシー・L・ラスキー・フィチャー・プレイ・カンパニー」を設立し、翌年にはハリウッド初の長編映画『ザ・ス クォー・マン』を発表する。16年に「ジェシー・L・ラスキー・フィチャー・プレイ・カンパニー」は「フェイマス・プレイヤーズ」と併合して「フェイマ ス・プレイヤーズラスキー・スタジオ」となり、ゴールドウィンが社長に就任する。しかし、ズーカーとラスキーが手を組んだため、ゴールドウィンはスタジ オを離れてズーカーが社長に就任。19年に興行網を統一して、27年に社名をパラマウントに改める。サイレント時代はメアリー・ピックフォード、クララ・ボウ、グロリア・スワンソン、ルドルフ・バレンチノらの大スターを擁してヒット作を連発し、23年にはデミル監督のスペクタクル超大作『十戒』を完成させる。映画がトーキーになるとゲーリー・クーパーを売りにして大成功を収めて、マレーネ・ディートリッヒやエミール・ヤニングスといったエスニックな魅力に満ちた外国俳優たちを積極的にハリウッド入りさせる。しかし財政難がたたって33年に破産宣告して35年に再建。再建後はミッチェル・ライゼン、エルンスト・ルビッチや、プレストン・スタージェスといった洗練されたコメディを得意とした監督たちの映画を製作して、ソフィスティケーテッド・コメディ映画専門のスタジオとしての地位を確立し、最もヨーロッパ的で洗練されたスタジオと評された。40年代から50年代にかけて『地上最大のショウ』(52)のセシル・B・デミル、『裏窓』(54)のアルフレッド・ヒッチコック、『深夜の告白』(44)のビリー・ワイルダーといった巨匠たちの黄金期の作品を数多く手掛けて高い評価を獲得し、カーク・ダグラスやバート・ランカスターなどの新しいスターを次々と送り出す。また、 技術革新も積極的に行い、54年にはワイド・スクリーンの一つ「ビスタビジョン」を発表する。