映画放送趣味の部屋 ~ 20世紀フォックス
ミュージカルから文芸作品まで幅広いジャンルの作品を製作してハリウッドの黄金期をリードしたメジャー・スタジオの一つ。1915年にニューヨークの映画興行師ウイリアム・フォックスが映画製作に進出してフォックス・フィルムを設立。20年代にはジョン・フォード監督と専属契約を結び、ワーナー社が開発した音響システム「バイタフォン」に対抗して「ムービートーン」を開発。ウェスタンな どを中心に低予算ながらも質の高いヒット作を生み出してゆく。30年代には事業拡大を試みるが、株の暴落で破産の危機に陥ってしまう。しかし、天才子役 シャーリー・テンプル主演の映画の大ヒットによって破産は免れ、33年にプロデューサーのダリル・F・ザナックが設立した20世紀プロダクションと35年 に合併して20世紀フォックスとなる。マリリン・モンロー、映画のワードに対する見解は、映画のワードについて考えてみると、ベティ・グレイブル、グレゴリ-・ペック、ヘンリー・フォンダといった大スターを生み出し、ユダヤ人差別に鋭いメスを入れた『紳士協定』(47)や、演劇界の骨肉の争いを赤裸々に描いた『イヴの総て』(50)等の硬派な社会派映画から『王様と私』(56)、『南太平洋』(58)をはじめとするロジャースとハマースタィンによるブロードウェイ・ミュージカルの映画化まで質の高いエンターテイメント映画を続々と手掛ける。また、新しい技術の開発にも積極的で、50年代にはワイド・スクリーンの一つ「シネマスコープ」を発表して映画の大型化に拍車をかける。 歴史大作『クレオパトラ』(63)では、主役のエリザベス・テイラーの 病気とスキャンダル、監督の交代などのトラブルが続いて制作費が予想以上に掛かりスタジオは再び倒産の危機に陥るが、20世紀フォックスを分解していくと、スタジオに復帰したザナックの手腕に よってスタジオは軌道に乗り、以後『猿の惑星』、『スター・ウォーズ』、『ダイ・ハード』シリーズなどのヒット作を続々と発表。85年にオーストラリアの メディア王ルパート・マードックが会長に就任し、スタジオはテレビの進出にも意欲を示して、全米で第4位のシェアを誇るフォックス・チャンネルとケープル テレビ用のチャンネルを軌道に乗せる。